経大レンジはリバーサイド

 経大洋弓部の人間なら大井杯のときに毎年話が出ているので知っているかと思いますが、かつて経大レンジは江口グランドではなく、淀川河川敷にありました。もう30年も前のことなので場所については現役はおろか知っているOBもあまりいないのですが…
 かわごえの手元には、当時の近畿地方建設局に提出した、1977年(昭和52)6月20日付の淀川河川敷使用許可申請書の写しがあります。97年のBOX引越しのドサクサに紛れて半ば無断で持ち出した資料の内の一つですが(苦笑)、かわごえ的には過去の洋弓部を知る歴史的資料なんですが現役にとってはただの紙切れの束でしかないので数年後には闇に葬られてしまう運命だったでしょうから別にいいだろう(笑)
 それはさておき、その申請書にはレンジの場所を示した地図が添付されていましたので、それをたよりに現地に行ってみました。場所は東淀川区東大道町1丁目2番地先(現・東淀川区大道南2丁目3番地先)。阪神水道企業団から南東100mの河川敷です。この近辺は土地区画整理事業の対象地区で、ここ2・30年で急速に市街地化が進んだところらしいので、当時の建物とか、目印になりそうなものがほぼなくなってた。あたりまえか(苦笑)。
 
申請書についていた、1975年ごろの地図(筆者彩色) 1980年ごろの航空写真。
出典;日本交通公社刊 「空から見た大阪」

現在の地図(YAHOO!MAPより)
 
 で、実際どうなっていたかと言うと、さすがに河川敷らしく、何度も冠水したと思えるような感じで、土が小山のようになってて(冠水しただけが理由じゃなさそう?)、とてもレンジがあったとは思えないような地形でした。何度も三脚や畳が流された、という話も納得ができるような所です。それを思えば今の洋弓部はちゃんとしたレンジがあるので、恵まれてると実感しますね。
 それなりにいいレンジがあるのに400台や300台の点数なんか射ってちゃダメだよ、
まじで!
旧豊里レンジ跡現況(2002.2撮影)
 
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