経大レンジはリバーサイド(その2)
前回旧経大レンジが淀川河川敷にあった話をしたんですが、実は現在の経大レンジも、「河川敷に作られた」レンジなのです。
下の図をご覧ください。摂津や吹田に小学校の頃から住んでいる方は社会科の本で見たことがあるかもしれませんが、これは明治時代の神崎川付け替えに関する地図です。
現在東西方向にまっすぐ流れている神崎川ですが、江戸時代までは江口橋のあたりから北に方向を変え、別府のあたりで安威川と合流していました。この河道は奈良時代末期の延暦4年(785年)に、桓武天皇の命で和気清麻呂が開削したものです。「三国川の開削」と日本史で言われているものですが、彼がしたのは埋まって狭くなっていた川筋を広げて船が通れるようにした、と言うのが実際のところで、もともとは3000年ぐらい前からここに川は流れていたようです。
(三国川と淀川によって現在の東淀川区の原型である“大隅島”ができた)

 前置きが長くなりましたが、皆さんはレンジに立って、横を走る道路との段差が異様に高いと思いませんでしたか?実はあの道路こそが、経大レンジのある江口グランドが川であった名残。元々あの道路はかつて流れていた三国川の堤防の上を走っていた道なのです。ついでに言えば、東淀川区と摂津市の境界線が異様に湾曲しているのもこのためです。
 写真は1960年代の井高野周辺。旧河道(推定)と堤防を色分けしてみました。
(赤い部分が現在レンジがある場所)
ちなみに江口グランドの水はけが悪いのは川がなくなったあと田んぼになったからで、昔川だったからではありません。
 
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